ネパール エベレスト街道トレッキング Ver1.準備編

2024年3月、ネパールにトレッキングに行ってきた。その記録である。Ver.1では準備編、Ver.2以降はトレッキング本体について書こうと思う

 

エベレスト街道は、私にとってあこがれの地だった。中学生の時に、夢枕獏氏の神々の山嶺沢木耕太郎氏の凍などを読んだこともあって、ネパール・ヒマラヤ山脈は遠い憧れだった。大学生になって少し登山もして、台湾での初めての海外登山も経験し、ネパールへのトレッキングは少し現実的なものになった。

 

いつか行きたい、程度の気持ちだったのが、ちょうど大学を卒業したタイミングでの春休みが、ネパールのトレッキングシーズンに重なっていることを発見し、行けるじゃん!となってしまった。

 

日程

計画は、ネットに転がる先人たちの記録を参考にした。記録によると、エベレスト街道の終着点であるEBC(エベレストベースキャンプ)への往復の場合、少なくとも10日ほどはトレッキングに必要だ。さらに、天気が不安定なら滞留する必要もあり、飛行機は天気次第で何日も飛ばないので、2週間やそれ以上を見ておく必要も出てくる。こんなにまとまった時間をとることは普通に会社で働くなら難しそうだ。

 

ここは大学生特権で、私たちのネパール滞在は余裕をもって25日間とした。3月初週から4月初めまで。この25日間には、エベレスト街道トレッキングと、ネパール国内での移動日、あわよくばカトマンズとポカラとチトワンの観光をするつもりで計画をした。

 

トレッキングについて

私たちはガイドやポーターは雇わず、完全に個人旅行で、必要な手配はすべて自分たちで行った。

 

噂のネパールでの個人トレッキング禁止条例について。現地では、ガイド無しで歩いていても何も言われなかった。ガイド付きが多数ではあったが、ガイド無しソロや、ガイド無しのグループもいたし、それらもガイド付きと同様に普通のことのようだった。

ただ、ガイドの方は気さくで親切で、ガイド無しで歩いている私たちにも話しかけ、助けてくれる人が多かった。ガイドさんと歩くのも悪くなさそうだ。また、繁盛期の場合は、ガイドさんによる宿の手配がないと満室で断られることもあるそうで、それはキツイ。3月はまだ閑散期で、ロッジは空いているところがほとんどだった。

オフィシャルな手続きとしては、エベレスト街道を歩いて2日目で通過するチェックポイントで5000RSを入域料?として支払うことと、街道沿いに存在するチェックポイントでパスポートを見せる事くらいだろうか。TIMSカトマンズのツーリストオフィスで確認したところ必要ないと言われたし、その後も求められることは無かった。

TIMSやガイド必須に関して情報が錯綜しているのは、ネパール政府と地方自治体?の連携が取れていないために起きている事態らしく、最新の情報を確認する必要がある。

 

日本からの手配はしなかった。タメル地区という繁華街では、ネパール国内の航空券やバスチケット、ジープのチケットや、ありとあらゆる登山用品が揃う。私たちはタメル地区でエベレスト街道行きの交通手段と、登山用具を確保した。

タメルで確保したジー

 

わたしはダウンパンツとダウンジャケットをタメルで、エベレスト街道ではニット帽とチェーンスパイクを調達した。本当に何でも揃うので、多分手ぶらで行っても大丈夫。

タメル地区

 

装備について

ザックは60Lがいっぱいになった。寝袋と電子機器、服類、衛生用品。靴はスカルパのハイカットである。

靴についてはサロモンのローカットと迷った。行って分かった結論(自分の場合)は、ハイカット一択。荷物が重いこと、標高が上がると岩場が増えて足場が不安定なこと、雪と雨でぬかるむこと、チェーンスパイクが要るかもしれないこと、2週間のトレッキングは靴がくたくたになるので耐久性があった方がいいことなどが理由である。(現地人はずっとサンダルとスニーカーで歩いてる,,,)日本国内で足場のかんじを例えるなら、秋の北アルプスを2週間くらい荷物担いで歩く時に何を履きたいかで考えればいいのではないかと思う。あくまで自分の場合なので、ローカットで全部歩ける人もいると思う。

秋や春でも雪は降る

 

寝袋は持参した。ISUKAのオールシーズンのやつで、やや暑かった。屋内なので風もなく、ベットなので地面から離れていて、寝袋に入って布団をかけると、かなり温かかった。しかし寝袋なかったら寒いと思われる。標高4500オーバーでは、朝起きたらペットボトルが芯まで凍っていたので。

 

服は日本の秋山と同じセットを持って行った。それに加えてダウンパンツとダウンジャケットを現地調達した。行動時は主に、上はアンダーウェア+薄いフリース+薄いダウン枠のナノパフを、下はアンダーウェア+トレパン枠のレイン+上の方ではダウンパンツを着ていた。これに加えて休憩中と雪の時はレインとダウンを上下に着た。上の方では休憩時かなり寒かったので、これで過不足が無いセットのように感じた。

 

 

装備については別記事にもう少し細かく書こうと思う。

 

礼文島のすゝめ 桃岩展望台

2022年9月、北海道でのツーリングの際に、礼文・利尻の二つの島に立ち寄った。

 

旅に出かける人であれば誰しも、忘れられない旅先というのはあるだろう。私にとってはそれが礼文島である。季節と天候で場所の印象は大きく変わるだろうが、穏やかな天気と、淡く染まった夕暮れのおかげで、礼文島のコンディション自体がおそらく最高であったその日に、その場所を訪れることができた私は幸運であったと思う。もう一度行きたい場所ではあるが、あの日以上の時間を経験はできないのではないかとすら思う。

 

ツーリング

礼文・利尻とは、北海道稚内の沖に位置する小さな二つの島である。利尻島の方は、白い恋人のパッケージでも有名な利尻岳利尻昆布やウニでも有名だが、ここ礼文島の方は比較的立ち寄る人も少ないのではないだろうか。かくいう私も、礼文島がどんなところか、行くまでイメージを持っていなかった。

 

礼文島エキノコックスの流行が日本で最初に起こった地であり、島であるからこそ抑え込みに成功して、今ではエキノコックスに対して清浄を保っている。未知の病の発生地とされ、悲しい処置を超えて病を撲滅したという過去がある。このへんの歴史に関しては、私は不勉強であるが、「清浄島」河﨑秋子さんの小説があるので、読んでみたいと思っている。

www.futabasha.co.jp

 

私が訪れたのは、9月、もう夜は寒いような時期である。稚内から船にバイクを載せて、礼文島にわたった。島に着いたのは、確か午後だった。セイコーマートで買い出しを済ませ、テントを設営し、もう数時間で日が暮れるような時間だったが、夕食の前に少し景色を見に行こうと思ったのだ。桃岩展望台に、あの日にあの時間に行ったのは本当に偶然だったと思う。

 

桃岩展望台の下の駐車場から歩く。高山植物の宝庫で、初夏は特にシーズンなようだ。

高山植物の季節にも来てみたい

 

駐車場からは利尻岳が海の向こうに見える。木道を歩き、階段をのぼり、岬の先端を目指す。

利尻岳が美しい

日がかたむいてゆく

午後もおそい時間。光は色を柔らかく変え、秋のすこし枯れかかった草木を黄金色に照らす。岬の先端は結構遠い。

光が周囲をつつむ、岬の先端へ

こんな道を、涼しい風に吹かれて、静かな中を岬の先端をめざして歩く。他に人は、写真をとるおじさんが一人。

 

猫の形の岩、猫岩

 

日が沈んでいった。

日が水平線の向こうへ

 

柔らかい光に照らされて、ここはなんて美しい場所なんだろうと思った。



完全に日が沈み、光はどんどん色を変え、紫に染まった。海の向こうに見える利尻も紫に染まった。

 

紫色が利尻をつつんでいる。

 

この時間は一瞬で、眺めるうちに揺らぐように色が濃くなって、いつの間にか星が見えていた。一瞬の紫色が過ぎ去ると、手元は暗くなり、帰らなければと思う。名残しいけれど、町に戻らなければ。寒くなるし、足元も危うい。

 

この日の食事は、礼文島で、炭火のちゃんちゃん焼きのお店に行った。これもまた素晴らしく、ふっくら脂ののったほっけに、甘辛いネギ味噌をのせて、ちょっぴり焦がしながら白米と一緒にいただいた。風に吹かれて冷えた体に染み渡るおいしさ。景色にしみじみとしたあと、こんなに美味しい土地のものをいただけるなんて、幸せでした。

ほっけのちゃんちゃん焼き


この日のことは、夢だったのではないかと今でも思ってしまう